樋口は5年ほど前に、私の主宰する画塾に入所してきた。印象は少し疲れているように感じられたが、自身の意とする方向とは異なる仕事に就き、限界を感じていたのだろう。習い始めて一度目の転機は、ピカソ展に行った時だ。水を得た魚のごとく、絵画に対する意識が一変し、その後も短期間で何度も駆り立てられるように、大きく転機を経験していったと思う。そして早、ギャラリー風での3度目の個展になった。
樋口がモチーフとする「球根」を見せに持ってきたことがある。まさにそれは「宝箱」に大事そうに納められていて、対象への愛おしさが強く率直に伝わって来た。彼女の筆運びを見たとき、その柔らかく、しかも執拗に探究し続ける筆先に、描き手の内実を見たように思えたことがあった。脳(心)と身体の結びつきがそうさせているのだろう。絵画は筆で描くんじゃなくて、まず心が描き出した像を筆で触りながら、確実な身体感覚によって知覚し、顕在化していく行為だなと考える。つまり筆によって心の実在に触っていくことが可能になるのだと思えている。
「球根」の実態に秘められた、自身の「心の宝」にどうしても触りたくて触りたくて、樋口愛は、その実現を渇仰しながら今日も苦闘することを止めようとはしない。